当初は下叶水地区の
済広寺内にありましたが、明治13年に現在の場所に校舎を建築しました。昭和30年代には全校生徒300名超、分校4校を有する、山村地区としては大規模な学校でしたが、急激な過疎化や大石沢地区にあった鉱山の閉山、横川ダム建設などにより生徒数が激減しました。しかし、少人数ながら各種コンクール・大会で毎年多数の入賞を記録するなど、優秀な人材を輩出する質の高い教育が注目されています。
かつて叶水という地名は済広寺周辺の集落を指すものでしたが、明治13年に学校が新築されたのに伴い、現小中学校付近を指す地名としても使われるようになりました。現在は、小中学校付近の集落を上叶水、済広寺のある地区を下叶水と呼び区分しています。また、場合によっては叶水小中学校の学区(東部地区)全域を叶水と呼ぶ場合もあります。